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鳥取地方裁判所 昭和59年(ワ)175号 判決 1990年7月12日

主文

一  被告は、原告太田照子に対し金一三八三万一八六九円、原告太田勝雄、原告谷口都及び原告太田信義に対しそれぞれ金四六一万〇六二三円並びに右各金員に対する昭和五九年一二月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その三を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は主文第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

【事 実】

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告太田照子に対し金二二三九万九七三六円、原告太田勝雄、原告谷口都及び原告太田信義に対しそれぞれ金七四六万六五七八円並びに右各金員に対する昭和五九年九月三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 亡太田尚(以下「亡尚」という。)は、大正一〇年三月三一日生まれ(後記死亡当時六三歳)の男性で、原告太田照子(以下「原告照子」という。)はその妻、同谷口都(以下「原告都」という。)、同太田勝雄(以下「原告勝雄」という。)及び同太田信義(以下「原告信義」という。)はその子である。

(二) 被告は、鳥取市内において鳥取市立病院(以下「市立病院」という。)を開設し、経営しているものである。

2  診療契約の締結

亡尚は、昭和五九年八月二九日午後七時四〇分頃、農作業に従事中、右手拇指のつけ根あたりをマムシに咬まれ、救急車で同日午後八時二五分頃市立病院に搬入され、被告との間で右咬傷に対し診療を行うことを内容とする診療契約を締結した。

3  市立病院における治療の経過

(一) 亡尚が市立病院に搬入された前記日時頃、右手から右前腕まで腫脹があつたところ、宿直の整形外科医師河合岳雄(以下「河合医師」という。)は、外科医師剱持雅一(以下「剱持医師」という。)から電話で指示を受けた結果、亡尚を入院させるとともに、同日午後九時頃、セファランチン(以下「セ剤」という。)四アンプルの点滴を開始した。

(二) 剱持医師が来診した同日午後一〇時三〇分頃には、右セ剤四アンプルを既に注入し終わつていたが、腫脹はさらに進行し、右上腕から右肩を越えて右前胸部にややかかるまでに至つていた。剱持医師は、さらにセ剤一アンプルの点滴追加の処置をとつて、しばらくして帰宅した。

(三) 翌三〇日午前零時一五分頃、亡尚はトイレで倒れ、車椅子に乗せられて病室に帰つたが、冷汗があり顔面蒼白で残渣物を嘔吐した。その後、午前二時には頭痛があり、吐気あるも嘔吐なく、午前三時には傾眠の状態であつた。

(四) 同日午前四時頃、腫脹は右肩から右前胸部に及び、吐気あるも嘔吐なく、尿意あるも排尿なく、体動後全身倦怠感強度の状態となつたため、この頃、看護婦がこれまでの容態を剱持医師に上申したが、同医師は鎮痛剤と吐気を抑える注射をするよう電話で指示したに止まつた。

(五) 受傷後約一三時間後の同日午前八時四〇分、剱持医師は亡尚に、マムシ抗毒素血清(以下「血清」という。)を咬傷局所を含む三か所に皮下注射した。しかし、同日午前一〇時一五分には、無気力表情、視覚障害、意識不明瞭の症状が出た。

(六) その後、亡尚は、尿中のミオグロビン、血清酵素であるGOT、LDH、CPKの数値が異常に高くなるとともに乏尿となつて急性腎不全の症状を呈し、同年九月一日早朝から死亡するまで無尿の状態であつた。

(七) 同年八月三一日午前二時四〇分、剱持医師は亡尚に再び血清を静脈内に点滴した。第一回目の血清投与から約一八時間後のことであつた。

(八) 同年九月一日午前九時頃、亡尚は急性腎不全治療のため内科に移り、剱持医師に替わつて主治医となつた内科医師原郁夫(以下「原医師」という。)から、同日午前一一時一八分から午後二時一八分まで血液透析を受けたが、急性腎不全の症状はその後も続いた。

(九) 血液透析後、亡尚の中心静脈圧がゼロまで落ち、高度の循環障害もあつた。又、血圧が低下し、脈拍、呼吸数とも高く、体温が下がつて四肢冷感を生ずる状態となつたが、結局、翌二日午前零時二五分死亡した。

4  マムシ咬傷(以下「本症」という。)における血清療法とセ剤療法

(一) 本件当時において、剱持医師の使用した薬剤であるセ剤には本症に対する薬効があるかどうか極めて疑わしいものであつた。

すなわち、セ剤のマムシ毒に対する薬効を確かめる従来の動物基礎実験は、ハブ毒又はハブ・マムシ混合毒を使用しており、単独のマムシ毒に効果があるか否か断定できないというべきである。加えて、いずれの実験も、あらかじめセ剤を実験動物であるマウスに注射して前処理をし、しかる後に右蛇毒を注射するというもので、現実のケースでは起こり得ない方法をとつているといわざるを得ず、以上のような実験では、セ剤の薬効が証明されたことにはならない。

そして、マムシ毒を実験動物であるマウスに注射した後にセ剤を注射してその薬効を調べた最近の動物基礎実験によれば、セ剤には、試験管内においても生体内においてもマムシ毒に対して何ら効果のないことが明らかとなつた。

(二) 又、血清が従来から本症に対して卓越した効果があると認められ、唯一の治療薬として医学的評価を得るとともに社会一般にも特効薬として信頼されてきたものであるのに対して、セ剤には、前記の如く客観的にマムシ毒に対する薬効もなく、医学的評価や社会的信頼においても、到底血清には及ばないものであるといわざるを得ない。

(三) たしかに血清療法ではアナフィラキシー様ショックや血清病などの副作用が一定割合で発現するが、これらに対してはそれ相当の準備をしておきさえすれば患者の生命を危機に陥らせずに済むものである。

従つて、本症に対しては、セ剤を使用すべきではなく、血清による治療を施さなければならないというべきである。

(四) そして、血清療法についていえば、血清投与には一定の時間的限界があるから、制限時間内に投与しなければならず、又、その方法も静脈に注射すべきである。

まず、血清投与の時間的限界についてであるが、血清は血管内のマムシ毒を中和することはできるが、一旦生じた組織の障害を復元させることはできず、毒素が血管から組織に浸透した後になつて血清を血管に注入しても効果がないのであるから、受傷後できるだけ早期に、遅くとも数時間以内に投与しなければならないというべきである。

なお、バイタルサイン(血圧、脈拍、呼吸、体温の状態をいう。以下同じ。)の悪化は、組織障害が生じたことの結果であるから、バイタルサインが悪化してから血清を投与しても遅きに失するというべきである。

(五) 次に、血清投与の方法であるが、血清注射は静脈内に行われれば、その直後から毒の中和が起こり、次第に病変の進展が食い止められるが、その他の経路(筋肉内あるいは皮下注射)では即効を期待することはできないから、静脈に注射すべきである。ちなみに、咬傷局所への注射は全く効果がないから避けるべきである。

5  被告の不完全履行(担当医の注意義務違反)

(一) 被告は、亡尚との前記医療契約に基づき、亡尚に対して適切な治療行為を行う義務があるにもかかわらず、被告の履行補助者である剱持医師は、亡尚に対し、右債務の本旨に従つた履行をなさなかつた。

すなわち、前述のとおり、血清投与の時期には一定の時間的限界があるにもかかわらず、この点の認識を欠いていたこと及びセ剤療法に頼り切つていたこと等により、後記のとおり、血清投与の時機を逸し(本件における血清投与は受傷後約一三時間である。)、投与方法等も適切さを欠いていたというべきである。以下、個々の注意義務違反について述べる。

(二) 亡尚の入院時である同年八月二九日午後八時四五分頃、同人が本症であることははつきりしており、緊縛していたにもかかわらず腫脹が右前腕に達していたのであるから、剱持医師は当直の河合医師に対し、直ちに血清を投与するよう指示すべきであつたにもかかわらず、右内容の指示をしなかつた。

(三) 仮に、前記入院の時点で直ちに血清を投与するよう指示しなかつたことが過失とはいえないとしても、剱持医師の初診時である同日午後一〇時三〇分には、腫脹が右肩の線を越えて右前胸部にかかり、いわゆる躯幹に及んでいたのであるから、剱持医師は、この時点で重症であると判断して血清を投与すべきであつたにもかかわらず投与しなかつた。

(四) 右八月二九日午後一〇時三〇分の腫脹の状況は前記のとおり、躯幹に及んでいたのであるから、この時期は血清を投与するか否かを判断するという点において極めて重要な段階であつた。従つて、剱持医師としては、被告病院に留まつて亡尚の容態の経過を注視するべき義務があつたのに、これを怠り、漫然と帰宅したため、血清の投与時期を遅らせてしまつた。

(五) 翌三〇日午前四時三〇分頃、剱持医師は、看護婦から前記のとおり上申を受け、特に、腫脹が右前胸部にまで及んだことを知つたのであるから、直ちにこの時点で血清を投与すべきであつたにもかかわらず、看護婦にこの旨指示しなかつた。

(六) 剱持医師は、同日午前八時四〇分に第一回目の血清投与を施行しているが、この時点では受傷後約一三時間を経過し、腫脹が右前胸部にまで及んでいる状態にあつたのであるから、血清は速効性のある静脈に注射すべきであつたのに、咬傷局所、右前腕、右肩の三か所にいずれも皮下注射を施行した。

(七) 右第一回目の血清投与後、亡尚の症状は軽快せずむしろ悪化したのであるから、その二、三時間後に血清をさらに追加注入すべきであつたのに、剱持医師はこれを怠つた。第二回目の血清投与がなされたのは、第一回目から一八時間後の翌三一日午前二時四〇分であつた。

(八) 仮に、セ剤に本症に対する効果があるとするならば、治療のためには、少なくとも腫脹が減退するまでその投与を続けなければならないにもかかわらず、剱持医師は、同月三〇日午前七時を最後に、これを放擲した。

(九) 血清ではなくセ剤を使用することについて、医師は亡尚もしくはその家族に対し、説明し承諾を得る義務があつたのに、これを怠つた。

6  因果関係

亡尚の死因は、マムシ毒を原因とする急性腎不全である。仮に、直接の死因が急性腎不全でないとしても、マムシ毒による心臓筋肉の溶解が死因と考えられるのであつて、いずれにせよ、亡尚の死亡した原因がマムシ毒であることは明らかである。

7  損害

(一) 亡尚は死亡により以下の損害を被り、原告らはこの損害賠償請求権を原告照子が二分の一、その余の原告らが各六分の一の割合で相続した。

(1) 慰謝料 金一五〇〇万円

亡尚は死亡当時六三歳であつたが健康で重病歴もなく、妻である原告照子とともに農業に従事し、長男である原告勝雄夫婦と同居して、円満で不足のない生活を送つていた。

この幸せな生活を生命とともに奪い取られた苦痛は、金銭で評価すれば金一五〇〇万円を下ることはない。

(2) 逸失利益 金二五七九万九四七三円

亡尚は、原告照子とともに農業に従事して収入を得ていたほかに軍人年金等の各種年金の支給を受けていた。しかし周知のとおり農業所得は、これを年ごとに正確に算定することは困難であるうえ、各年度による変動も大きい。

そこで本件においては、全産業の全労働者の平均賃金をもとに、亡尚が本件により死亡することがなかつたならば少なくとも満七三歳まで稼働することは充分に可能であつたから、それまでの一〇年間の収入を逸失利益として算定することとする。

そうすると、賃金センサス昭和五七年版の前記賃金の年額が金三二四万七三〇〇円、新ホフマン係数が七・九四四九であるから、逸失利益の額は金二五七九万九四七三円となる。

(二) 弁護士費用 金四〇〇万円

原告らは本件訴訟の提起追行を弁護士である原告代理人に委任したが、訴訟の性格、追行する困難さ等を考慮すれば、被告が負担すべき弁護士費用は金四〇〇万円を下らない。原告らは各自の相続分に応じて、これを負担するものである。

よつて、原告らは、被告に対し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、原告照子については金二二三九万九七三六円、他の原告らについては各金七四六万六五七八円並びに右各金員に対する亡尚死亡の日の翌日である昭和五九年九月三日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実を認める。

2  請求原因3(二)の事実のうち、同日午後一〇時三〇分の腫脹の範囲は否認する。

その他、剱持医師の診断、処置等の内容は、後記被告の主張のとおりである。

3  請求原因4ないし7の事実については、いずれも争う。

三  被告の主張

1  市立病院における治療の経過

(一) 剱持医師は、同年八月二九日午後八時三〇分頃、亡尚の本症治療につき、宿直の河合医師から電話で処置を尋ねられ、咬傷局所の切開を指示し、この指示に基づき、切開捨血が行われた。そして、右電話で、河合医師から、亡尚の腫脹が右前腕までであると聞かされた剱持医師は、セ剤の投与と入院を指示し、午後九時セ剤四アンプルが投与された。

(二) 同日午後一〇時三〇分、剱持医師が来診したが、腫脹は右前腕から右肩までであり、創痛あるも意識清明で、吐気、嘔吐、眩暈は無く、血圧、脈拍とも正常であつたので、セ剤一アンプルの点滴を続行し、経過観察することにした。

(三) 翌三〇日午前零時一五分、亡尚はトイレで気分が悪くなつて病室へ戻つた。

同日午前零時二〇分、点滴を再開した。

(四) 同日午前二時、亡尚は、頭痛、吐気を訴えるも嘔吐なし、同日午前四時、尿意訴えるも排尿なしという状態であつたが、この間バイタルサインには特に異常はなかつた。

(五) 同日午前七時四〇分の剱持医師の二回目の回診のとき、腫脹は右上腕から肩を越え、前胸部にかかるあたりまで進行していたため、血清を投与することとし、血清に対する過敏性テストを実施した。同日午前八時二五分、右テストの結果が陰性であることを認め、同日午前八時四〇分、血清六〇〇〇単位を皮下注射した。

(六) 同日午前一〇時一五分、顔面不良、無気力表情、視覚障害が認められ、ショック前状態となつたため、亡尚は集中管理治療室(以下「ICU」という。)に移された。

(七) 同日夕刻から亡尚の排尿が悪くなつたが、翌三一日午前一時、尿は暗褐色を呈し、ミオグロビン尿となつた。この時点で筋融解性急性腎不全を併発した模様で、剱持医師は症状増悪と判断し、同日午前二時四〇分、血清六〇〇〇単位を静脈内に点滴した。

(八) 同年九月一日午前一一時頃から三時間、亡尚は急性腎不全の治療として血液透析を受けたが、その結果、尿素窒素は四七が四二に、クレアチニンは五・六が三・〇に、ナトリウムは一〇〇が一三八に、カリウムは五・〇が四・七にそれぞれ改善され、透析の効果は上がつていると考えられ、又、血圧も最高一三〇、最低一〇〇あたりを維持している状態であつた。なお、右血液透析の間、亡尚は腹痛を訴えていた。

(九) ところが、同日午後五時頃より血圧が徐々に低下傾向を示するようになり、同日午後一一時にはやや改善したものの、翌二日午前零時より血圧が急激に下がり、同日零時二五分死亡した。

2  本症における血清療法とセ剤療法

(一) およそ医療契約において、その債務の本旨とは、その当時の医療水準に適合した相当な治療行為を施すことであつて、軽快治癒の結果を生じさせることではない。そして、特に治療法の選択については、医師に広範囲な自由裁量が許されているというべきである。

従つて、本件においても、本症に対して血清を使用するかセ剤を使用するかは、ともに当時の医療水準に適合する治療であるという前提に立つ限り、どちらを選択することも前記載量の範囲内であるところ、後記のとおり、本件における当初のセ剤による治療行為及びその後の血清による治療行為は、本症の治療行為として、いずれも当時の医療水準にかなつた治療であつたというべきである。

(二) 本症において血清による治療については、古くからその有効性はよく知られているところであり、すぐれた治療成績は世間一般に認められている。

しかし他面、副作用としてアナフィラキシー様ショックの如き過激な反応を生体にもたらして患者を急速に危険に陥らせることがあり、又、高熱、発疹、リンパ節腫脹、肝障害などで知られる血清病が一〇ないし二〇パーセントの割合で発生するなど、血清はかなり危険度の高い薬品ということができる。さらに、血清は値段も高価であるうえ、保存にやや困難性があつてすべての診療施設で常に保有することは難しいなどの欠点がある。

(三) そこで、血清を使用しない治療法が試みられ、副作用のないセ剤を使用した例は多い。

その作用機序は、生体膜の物理化学的性質を安定化させることによつて、マムシ毒の溶血作用を阻止するというもので、その薬効も明らかである。

(四) そして、本件当時本症については、セ剤療法も医療水準に適合した治療法であつたというべきである。すなわち、当時の医療水準は、血清は必要不可欠のものではなく、大部分の症例にはセ剤療法で十分であるというものであつた。そして、来院時重症を予想される例(複視、霧視などの症状があるもの、腫脹、溶血の著しいもの)に対してのみ、血清によるアナフィラキシー様ショックを防ぐ十分な用意のうえで血清を使用すべきであるというものであつた。文献、臨床例報告においても、血清を使用しなくてもセ剤で十分であるとするものは非常に多い。

(五) 次に、血清投与についてであるが、その投与の時間的限界についていえば、これを確かめる実験はないし、臨床例でも、咬傷後何時間以内なら治癒確実で何時間経過なら治癒不能という報告はなく、又、中には受傷後一時間以内の投与でも死亡した例もあり、時間的限界を画する理由は乏しく、又、困難というべきである。

結局、バイタルサインに変化がなければ生命に別状はないのであるから、バイタルサインの悪化がない間に血清を投与すれば遅すぎるということはないというべきである。

(六) 血清の注射方法についていえば、皮下注射、筋肉注射、静脈注射、静脈内点滴のいずれも可として行われており、血清添付の説明書では、半量を局所近くの皮下に、残り半量を皮下あるいは筋肉内に注射すると記載されているのであつて、静脈注射でなければ効果がないというわけではない。

血清の静脈到達に要する時間は、静脈注射と皮下注射でせいぜい一〇分しか差はなく、他方、静脈注射の方が、副作用ことにショックの危険性ははるかに高い。従つて、副作用の危険を犯してまで静脈注射すべきであつたかは、それを必要とするほどの重篤症状であつたかの臨床医の判断に委ねられるべきである。

なお、前述のように血清が用いられても死亡する例があり、血清も必ずしも万能とはいえない。

3  担当医の注意義務違反の不存在について

(一) 原告は、剱持医師が本症に対して効果のないセ剤を使用し、又、血清投与が遅きに失した旨主張するが、前記のとおり、本症に対するセ剤療法は、本件当時の医療水準に適合しているというべきであるところ、剱持医師は、同年八月二九日午後九時にセ剤四アンプル、同日午後一〇時三〇分に一アンプル、翌八月三〇日午前七時に五アンプルをそれぞれ投与しているのであるから、剱持医師には何らの注意義務違反はないというべきである。

そして右二九日午後一〇時三〇分の剱持医師の初診時、腫脹は右肩までで身体の躯幹たる前胸部に及んでおらず、又、翌三〇日午前八時四〇分の血清投与時も、腫脹は右肩をやや越えて右前胸部にかかる程度で前胸部全体に広がつていたわけではなく、複視、霧視、著しい溶血の症状もなかつたうえ、バイタルサインも悪化してはいなかつた。右のような腫脹の状況及びバイタルサイン等の全身状態からすれば、右血清投与の時点においても、亡尚は未だ重症という事態に陥つてはいなかつたというべきである。

従つて、以上のように、未だ重症に至らない間に血清を投与したのであるから、その時期が遅きに失したということはできない。加えて、前述のとおり、血清投与について明確な時間的制限を画するのは困難であることからしても、本件において血清投与が遅すぎたと結論づけることはできないというべきである。

なお、本件においては、右血清投与時点までセ剤による治療がなされているのであるから、血清投与の時期について、何ら治療がなされていない場合と同列に論じることはできないというべきである。

(二) 第一回目の血清注射を静脈でなく皮下に行つた点については、前述のとおりであつて、この点について剱持医師には何らの落度はない。

(三) 第二回目の血清投与の時期については、同年八月三〇日午前八時四〇分の第一回目の血清投与後、バイタルサインに特に変化はなく、全身症状の悪化はなかつたのであるから、それから二、三時間後において第二回目の血清を追加投与すべき義務はないというべきである。

なお、翌三一日午前二時四〇分になつて第二回目の血清を投与したのは、前日三〇日の夕刻から亡尚の排尿が悪くなり、全身症状が現われ始めたと剱持医師が判断したからである。

(四) セ剤療法を途中で中止したことについては、一般に、治療において患者の病状は刻々経過していくものであり、経過次第ではまた別の薬剤を使用する必要も生ずるのであつて、初療で期待された効果が現われなければ第二段の治療を行わなければならない。

本件においても、当初セ剤を使用しているにもかかわらず、同年八月三〇日早朝の診療で上肢の腫脹の進行等が確認されたため、剱持医師はセ剤だけでは効果が弱いと考え、血清投与をしたもので、適切な措置というべきである。

(五) いわゆる説明義務についてであるが、剱持医師は亡尚及びその家族に対して治療方針の説明を行つている。すなわち、血清を使用しないで他の薬剤であるセ剤を注射することを説明し、併せて血清による副作用、血清病の可能性のことを説明してその諒解を求めた。亡尚及び家族はこれに対して是非に血清の使用を強く希望することはしなかつた。

(六) 以上のとおり、本件診療行為について、剱持医師には何らの注意義務違反はないというべきである。

4  因果関係について

(一) 亡尚の直接の死因は急性腎不全ではない。すなわち、前記のとおり、亡尚は血液透析後その効果が上がつて容態は改善しており、その死因は急性腎不全とは考えられない。

同年九月一日午後五時頃から死亡までの血圧低下は、心臓筋肉の障害であると考えられるが、病理解剖がなされなかつたので、この点も不明であるというほかはない。

又、同日ころから亡尚は麻痺性イレウスの状態であつたと思われるが、急性腎不全では麻痺性イレウスとはならないと報告されており、いずれにせよ、直接の死因が急性腎不全でないことは明らかである。

(二) なお、受傷後一時間以内に血清が使用されても死亡する例はあり、本件においても入院直後血清を注射しても死亡が避けられたかは断言できないといわざるを得ず、従つて、より早期に血清投与しなかつたことと亡尚の死亡との間には因果関係がないというべきである。

5  損害について

(一) 慰謝料一五〇〇万円の主張は争う。

(二) 逸失利益二五七九万九四七三円の主張は所得の証明もなく、稼働能力の有無、程度も明らかにされていないので平均賃金を算定の基礎にすることはできない。又、満七三歳まで稼働できるとの主張は経験則にも反する。

(三) 弁護士費用は債務不履行構成によつては認められない。不法行為の主張であると理解しても被告の違法行為、故意又は過失が特定できない以上認められない。

(四) 右のとおり、原告主張の損害額はすべて争う。

第三  証拠《略》

【理 由】

一  請求原因1、2の各事実については争いがない。

二  市立病院における治療の経過

《証拠略》によれば、市立病院における治療経過につき、以下の事実が認められる。

1  亡尚は、昭和五九年八月二九日午後七時三〇分頃、農作業に従事中、右手拇指球あたりをマムシに咬まれたため、すぐ自宅に戻つて右手首と右肘の上の二か所を、ともに日本手拭で緊縛する処置を施した後、同日午後八時二五分頃、救急車で市立病院に搬入された。

2  亡尚が市立病院に搬入された前記日時頃には腫脹はすでに右手から右前腕に広がつていたところ、自宅に帰つていた外科医の剱持医師(後に亡尚の主治医となる。)は、宿直の河合医師(同医師は整形外科が専門であつた。)から電話で処置について尋ねられ、同医師に咬傷局所の切開を指示し、これに基づき同医師は直ちに右局所の切開捨血を実施した。

剱持医師は、右電話の応答の中で河合医師から、腫脹が右手から右前腕に広がつていること及び全身状態で変わつたところがないこと等の報告を聞き、当時市立病院に血清は用意されていたけれども、右容態では血清投与の必要はないと判断した結果、セ剤の投与と入院を指示した。これに基づき、同医師は、亡尚を同日午後八時四五分市立病院に入院させ、同日午後九時、同人に対しセ剤四アンプルを静脈内に点滴により注入した。

3  剱持医師は、同日午後一〇時三〇分頃に市立病院に来院し亡尚を診察したが、その時には右セ剤四アンプルの点滴は既に終了していたところ、腫脹はさらに進んで右上腕から右肩をやや越え、右前胸部に少しかかるあたりまで至つていた。亡尚に付き添つていた妻原告照子は、亡尚が「明日には家に帰る。」と言うなど比較的元気な様子であつたため、同日午後一〇時三〇分過ぎ頃、付き添つて看護するのをやめて帰宅した。そして、剱持医師は、右午後一〇時三〇分頃にセ剤一アンプルの点滴を追加したが、それ以上自ら具体的な措置はなさず、その後の診療を指示するなどした後、しばらくして自宅へ帰つた。

4  剱持医師が自宅に帰つた後の翌三〇日午前零時一五分頃、亡尚はトイレに行つた後、詰所の前で気分が悪くなり、車椅子で病室に戻つたが、顔面蒼白で冷汗をかき、残渣物を少量嘔吐するなどしたため、看護婦は、宿直医にその旨報告し指示を仰ぎ、その指示に基づき、同日午前零時二〇分、ネオファーゲン一アンプル(効能はセ剤と同様である。)の点滴を実施した。

同日午前一時頃、亡尚の長女原告都が様子を見に来院したが、その際亡尚は始終「えらい。」と言つてひどく苦しがつている状態であり、原告都は、看護婦から心配なので付き添つているように要請され、その看護を続けた。その頃亡尚は、その右腕が一・五倍くらいに腫れ上がり、絶えず冷汗をかき、非常に苦しがつており、同日午前二時には頭痛、吐気があり、同日午前二時三〇分には頚部不快を訴えるような容態であつた。

5  その後も亡尚は、苦しがる状態が続き、同日午前三時頃には傾眠の状態となつたが、同日午前四時頃になると腫脹は右肩から右前胸部に及び、吐気あるも嘔吐なく、尿意あるも排尿なく、体動後全身倦怠感強度の状態になつたため、同日午前四時三〇分頃、看護婦は、それまでの容態を剱持医師に電話で伝え指示を仰いだところ、同医師から鎮痛剤と吐気抑えの薬の注射をするよう指示を受け、これらを亡尚に注射した。そして、午前七時には、さらにセ剤五アンプルが点滴された。

6  同日午前七時四〇分、剱持医師の二度目の回診の際、同医師は、腫脹が右前胸部に広く広がつており、疼痛も増強し、意識レベルもやや落ちていること等の容態を認めたことから、亡尚は重症であり、セ剤療法の効果があがつていないと判断した結果、血清療法を試みることとした。そして、直ちに血清に対する過敏性テストを行い、陰性であることを確認した後、同日午前八時四〇分、血清六〇〇〇単位を咬傷部、右前腕、右肩の三か所に皮下注射した。

なお、剱持医師は、血清投与の時間的限界については、早期に投与しなければ効果がなくなるという認識はなく、腫脹が続いている間は血清の効果もあるものと理解していたものであり、又、血清を右三か所に皮下注射したのは、毒素の多い部分に血清を直接到達させようと考えたからである。

7  同日午前一〇時一五分頃、外科医長湯村医師の回診があつたが、同医師は、その際亡尚に無気力症状、視覚障害があり、腫脹も前胸部まで広がつていることを認め、同日午前一一時頃、亡尚をICUに移すことを指示し、直ちにその旨実施された。

8  その後、視覚障害はとれたものの、亡尚の容態は好転せず、同日午前一一時二〇分頃には、腫脹は右前胸部から頚部に及び、同日午後からは尿が茶褐色を呈し、呼吸困難を訴えるようになり、同日午後一一時五分には尿の流出が不良となり、さらに、翌三一日午前一時頃には、尿は暗褐色のミオグロビン尿となつて、筋融解性急性腎不全を併発した。そこで、剱持医師は、症状増悪と判断し、同日午前二時四〇分、二回目の血清六〇〇〇単位の静脈内点滴を開始した。しかし、呼吸困難、尿流出不良、全身色不良(どす黒い)、全身苦痛など亡尚の容態はさらに悪化し、同日午前六時には、腫脹は左肩、背部にまで進み、同日の昼頃からは腹痛も訴えるようになつた。

9  翌九月一日午前九時、亡尚は、急性腎不全の治療のため内科へ転科し、剱持医師に替わつて主治医となつた内科の原医師から、同日午前一一時一八分より三時間血液透析を受けたが、この頃、亡尚は、激しい腹痛を訴え続けていた。血液透析の結果、尿素窒素、クレアチニンはやや改善、ナトリウム、カリウムの電解質バランスは改善されたが、なお急性腎不全の状態であり、原医師は翌日も血液透析をする予定であつた。

10  右血液透析直後、血圧が急に低下し、その後、同年九月一日午後三時三〇分、最高血圧が一三〇程度まで上昇したものの、同日午後五時三〇分以降再び低下し始め、昇圧剤を投与しても最高血圧がせいぜい一〇〇程度の状態となり、中心静脈圧も低値を示し、さらに、同日午後八時頃には、不整脈(上室性期外収縮)が現われた。亡尚は、腹痛とともに、四肢に冷感を感じ、「今日が最後だ。」などと言つて苦しがる状態が続いたが、翌二日午前零時過ぎ、急激に血圧が低下するとともに心停止し、同日午前零時二五分、遂に死亡するに至つた。右死亡後、原医師は解剖させてくれるよう依頼したが、遺族らはこれを承諾しなかつた。

三  本症の症状及び一般的治療法

《証拠略》を総合すると以下の事実を認めることができる。

1  本症の実態

マムシ咬傷は、その実数は必ずしもはつきりしないが、国内で年間約二〇〇〇ないし三〇〇〇例の発症があると推定されている。動物実験によれば、マムシ毒はハブ毒よりも致死量としての値が小さく、より強力であることが窺えるが、一回の毒の注入量がハブよりも少ないため、軽症ないし中等症で軽快するものが大部分である。しかし、ごく少数例において重症化し、不慮の転帰をとるものもあり、その死亡率は、一〇〇〇人に一人ないし一五〇〇人に一人程度と推定されている。

2  マムシ毒の成分と作用

マムシ毒は、種々の酵素から成立しているが、未だその成分及び作用の完全な解明はなされていない。その主な作用は、出血作用で、局所の血管を破壊して出血を起こし、組織を壊死に陥れるものである。特に、骨格筋との親和性が高く、心筋、外眼筋との親和性もあるとされている。その他、血管透過性を亢進させ腫脹を生じさせる作用や、血圧降下作用、赤血球を破壊する溶血作用、さらに血液抗凝固作用などがある。

3  本症の症状

本症の症状は、局所障害と全身的影響(以下「全身症状」という。)とに分けられる。

(一) 局所障害は、マムシ毒の注入があれば軽症例でも必ず起こるものである。すなわち、受傷し毒液が注入されると、受傷部位には普通二個の牙痕がみられ、そこから少量の出血がある。その約三〇分後に、咬傷部を中心に、激痛とともに腫脹をきたす。その後、腫脹は中枢側に進むとともに疼痛が増強する。多くの場合所属リンパ節の腫大、圧痛を認め、又、皮下出血をきたすこがある。

腫脹は二、三日で最高となるが、腫脹が高度の場合は多量の毒が注入されたものと考えられる。

(二) 全身症状は軽症状では見られず、多量の毒が注入された中等症以上で見られるものであるが、その症状は必ずしも一定せず、複視、霧視などの眼症状のほか、悪心、嘔吐、腹痛、頭痛、発熱、眩暈、不安、胸内苦悶、血圧下降、冷汗、ショックや乏尿などを挙げる文献が多い。

本症がどの程度の症状を呈することとなるかの要因としては、患者の年齢、健康状態等種々存するけれども、注入された毒の量が最も重要な要因であると考えられている。

(三) 本症での死亡は、前述の如く非常に稀であるものの、やはり一定の割合で起きる。もつともコブラやハブの咬傷による死亡が受傷後数時間から二四時間以内に起こつているのに比べて、本症の場合は、いわゆる亜急性で、大部分は受傷後数日を経過した後に起きる点がその特徴である。そして、その死因は、多くの場合急性腎不全であるが、その他循環不全によるものも報告されており、この中には、心臓筋肉の変性によるものもあるとされている。

マムシ毒により急性腎不全の起こる機序は必ずしもはつきり解明されているとはいえないが、文献によると溶血や循環不全による腎乏血によるとするもの、DIC(広汎性血管内凝固)による急性腎皮質出血壊死によるとするもの、マムシ毒の直接作用によるとするもの、マムシ毒によつて筋組織が変性、壊死に陥り、その結果として起こつたミオグロビン血症によるとするものなどがあり、これらが複合されたものと考える研究者もいる。

4  本症の一般的治療法

本症の一般的治療法は次のとおりである。

(一) 緊縛、吸引、排毒

受傷直後、四肢など咬傷部より上部の緊縛が可能なら直ちに手拭等で上部を緊縛し、毒の吸収を防止する。そして、咬傷部を切開し、吸引して排毒を行う。もつとも、吸引、排毒は、三〇分以内でないと効果は期待できないとされる。

(二) 毒の中和等の薬剤投与

従来、血清の投与が唯一の根本療法として使用されてきたが、近年ではセ剤の有効性を主張するものも増加している。

(三) 対症療法等

中等症以上の症状に対しては、全身症状に対する対症療法、急性腎不全の予防措置を施す。すでに急性腎不全が発症した場合には血液透析が有効であるとされる。又、合併症防止のため、破傷風トキソイドや抗生物質を投与する。

四  本症における血清療法とセ剤療法

前記治療法のうち、マムシ毒の中和、不活性化が本症の根本的な療法であるとされるが、血清とセ剤のどちらの療法を選択すべきであつたかが本件において重要な争点となつているので、以下この点について検討する。

1  血清療法とセ剤療法

《証拠略》を総合すると以下の事実が認められる。

(一) 血清は、従来、本症に対する唯一の根本治療薬とされ、マムシ毒中和作用があり、その有効性は明らかである。ただし、その作用は、血液中に遊離している毒素を中和するものであり、マムシ毒によつて一旦生じてしまつた障害を取り除く力はないため、その薬効は血液中に毒素が残留している間に限られることとなる。従つて、血清投与は、受傷後早い方がより有効であり、かつ、その有効性には一定の時間的限界があると解されている。

(二) 以上のように、血清は受傷後一定時間内に投与されれば有効であるが、他方、馬の血清によつて製造されたものであるため、これが人体に注入されれば、血清病等の副作用が一定の割合で発現することとなる。

このうち、急速反応として最も恐れられるのは、アナフィラキシー様ショックであり、これは、血清注射後二、三分ないし三〇分以内に、急に顔面蒼白、冷汗、呼吸困難、血圧下降、頻脈、脈拍微弱等の症状を呈するもので、稀に(〇・一パーセント程度)に起き、即刻治療しないと生命の危険がある。その発生の可能性については、血清投与前に、その稀釈液を皮内注射するなどの過敏性テストにより、ある程度予知することができる。血清療法を採用した場合にその注入にあたつて、アナフィラキシー様ショック予防のためステロイドを同時に投与する方法もある。万一ショックが発現した場合は、エピネフリン、ノルアドレナリン、ステロイド、抗ヒスタミン剤、強心剤、呼吸促進剤などを用いると有効である。

従つて、血清の投与は、事前に過敏性テストを行い、又、アナフィラキシー様ショックが発現した場合のために右のような救急処置の態勢をととのえた上で行わなければならない。

(三) 次に、いわゆる血清病には、即時性のものと遅延性のものがあり、前者は、血清注射後三〇分ないし数時間の間に顔面紅潮、発疹、全身(文字略)痒感、嘔吐、眩暈等の症状が発現するもの、後者は、血清注射後七日前後に発熱、発疹、四肢痛、リンパ節痛などの症状が発現するものである。血清病は、その発症率が一〇パーセント前後であるとされるが、ステロイドや強力ネオミノファーゲンCを投与することにより軽快せしめ得るものである。

(四) 以上のとおり、血清は、その有効性は明らかではあるものの、前記のような副作用があり、加えて、その保管、管理がやや煩雑である等の欠点がある。そこで、血清非使用の治療法が検討され、副作用のないセ剤による治療法が注目されるに至り、昭和五〇年代にはセ剤に関する文献も相当数発表されて臨床医の間にも普及するようになつた。セ剤が普及するようになつた背景には、本症の大部分が軽症であるにもかかわらず、血清には前記のような副作用の発現があることが考慮されたものであると指摘する文献もある。

セ剤は、台湾で毒蛇咬傷に民間薬として用いられていたタマサキツヅラフジの根茎から抽出されたビスコクラウリン型アルカロイドで、もともとは、昭和一三年頃、ハブ毒に効果があるとして発表されたものであるが、その後、臨床医の間で、ハブよりもむしろ本症の治療薬として利用されるようになつた。

その作用機序は、肥満細胞からのヒスタミンの遊離を抑制するとともに(抗アレルギー作用)、生体膜を安定化させることによつて、マムシ毒の溶血作用を阻止する効果があるとされている。前述のとおり、セ剤には、特に副作用といつたものはない。

2  本件当時の医療水準(血清療法及びセ剤療法)

そもそも医師に課せられる注意義務の基準とするべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であると考えるべきであつて、本症の治療方法の適否についてもこの見地から検討されるべきである。

そこで、本件当時の本症の治療方法についての医療水準を検討するに、《証拠略》を総合すると以下(一)ないし(五)の事実が認められる。

(一) 東京大学の教授であつた長谷川秀治らは、セ剤がハブ咬傷及び本症における蛇毒を中和する効果があるものと考え、各地の臨床医に対しセ剤を実験的に使用するよう依頼し、数か所の臨床医からハブ咬傷及び本症のいずれにおいてもセ剤の効能が認められたとの報告を受け、昭和二七年、右臨床結果を各症例も含めて「最新医学」という文献に発表した。

そして、右長谷川秀治らの報告は、これまで血清による治療に頼つていた臨床医たちの本症に対する治療に一定の影響を与え、昭和三〇年には本症に対するセ剤の治療例が公立豊岡病院の小池脩から報告されており、又、昭和三七年には東京慈恵会医大雑誌において本症に対するセ剤の有効性を認めた見解が発表されている。

(二) その後、昭和四六年、青梅市立総合病院外科の大橋忠敏らのグループは、「診断と治療」という文献に、昭和三六年八月以降のセ剤使用、血清非使用の治療例三五例を報告し、その中には重篤な全身症状を呈したものは一例もなかつたが、本症の治療に血清は不可欠なものではなく、セ剤注入で充分目的を達し得るとの見解を表明した。

そして、昭和五三年には山口県立中央病院外科の中安清らのグループが「日本臨床外科医学会雑誌」に、同年利根中央病院外科の都築靖らのグループが第五回関東農村医学会総会において、昭和五八年には鶴岡市立荘内病院外科の前田長生らのグループが「日本臨床外科医学会雑誌」に、それぞれ、セ剤使用、血清非使用の治療例を示しながら、前記青梅市立総合病院外科のグループと同一の見解を表明し、又、岡山大学医学部のグループからセ剤の薬理作用の機序(その内容の要旨は前示のとおり)の研究結果も発表されるに至つた。

(三) しかしながら、前記利根中央病院外科の都築靖らのグループは、昭和五六年発行にかかる雑誌「外科」において、昭和四三年から昭和五五年までの一三年間で本症の患者を五八例扱つたところ、幸い複視、霧視、ショック等の重症例はなかつたものの、そのためかもしれないがセ剤を中心とした治療が十分であつたこと、そして本症の治療に関しては血清は必要不可欠のものではなく、大部分の症例にはセ剤による治療で十分であるが、来院時重症が予想される例(複視、霧視、腫脹、溶血の著しいもの)に対しては血清によるアナフィラキシーショックを防ぐ十分な用意の上で血清使用に踏み切るべきであるとの見解を発表した。又、同病院の院長であつた菊地幸雄も、昭和五八年発行の雑誌「綜合臨床」において右とほぼ同旨の見解を発表している。

一方、前記青梅市立総合病院のグループは、昭和六〇年にも「日本医事新報」においてそれまで扱つた本症患者八〇症例を総括した報告を行つているが、その中で、幸い扱つた症例では複視、霧視、ショック等の重症例に遭遇しなかつたためかもしれないが、セ剤を中心とした治療法で十分であつた、いずれにせよ、本症の治療に関しては血清は必要不可欠のものではなく、大部分の症例には、セ剤による治療法で十分と思われた旨の見解を発表している。しかし、右の報告では、大部分の症例にはセ剤による治療法で十分と思われると言うにとどまり、本症の重症が予想される例についてもセ剤による治療法で十分であるとまでの意見は述べられていない。

なお、右の青梅市立総合病院及び利根中央病院外科の二つの研究グループの報告は、昭和五九年発行の雑誌「治療学」における都立府中病院の川崎寛一の回答の中で、セ剤による治療実践の代表例として引用されており、その研究内容については、「咬傷の大部分を占める軽症から中等症程度の患者ではセ剤療法で十分有効である。」旨の報告として紹介されている。

(四) そして右のほか、血清療法については副作用があるためその濫用は控えねばならないとしつつ、しかし重症の場合には血清を用いるべきであるとする趣旨の見解の報告も引き続きなされているところ、その報告者、文献及び見解の概要は次のとおりである。

(1) 昭和四四年発行の「日本医事新報」における鹿児島大学助教授香月武人の報告

本症による死亡はハブのそれの約一〇〇分の一といわれ、血清病続発の危険に鑑みると、血清注射を濫用すべきではない。ことに、咬傷後二時間以上経過し重症全身症状(口渇、悪心、嘔吐、頭痛、発熱、不安、胸内苦悶、頻呼吸、頻脈、貧血、ショックなど)がなければ血清は使用すべきではない。

(2) 昭和五七年発行の「広島医学」における双三中央病院外科のグループの報告

血清注射はその副作用のため賛否両論があるが、重症例には使用した方がよい。

(3) 昭和五九年発行の「日本医事新報」における筑波大学教授内藤裕史の報告

セ剤は現在のところ本症に対しては適応が認められているが、薬効再評価は未だ受けていない。しかし、報告を読む限りでは、ある程度効果があるようである。本症に対して血清は決して不可欠なものではない。大橋らは昭和三六年以降、都築らは昭和四六年以降、血清を使用せずにそれぞれ数一〇例治療している。発生頻度の高い血清病のことを考えると、腫脹が著しかつたり全身症状が強い重症例で、かつ咬まれて一時間以内の場合を除き、むしろ使用せずに治療してよいのではなかろうか。

(4) 前記(三)の川崎寛一の回答

血清の非使用療法も安全性の面から考慮していく必要があろう。治療に際して重要なことは、毒の注入を確認することである。注入が確認されたならば、咬傷後の処置(緊縛、吸引)の有無により、血清あるいは血清非使用の療法を決定されたい。咬傷後の処置が充分であれば、重症に至ることは少なく、血清を使用しない療法も一法と思われる。しかし、処置が不充分で重症に至る症例では、咬傷後六時間以内であれば血清は不可欠である。その際にはアナフィラキシーの発現に対処できるよう準備し、充分な量の血清を投与すべきである。

(五) さらに、昭和五〇年代に発行された文献においても、本症の治療は血清使用を原則とすべきであるとする趣旨の見解が相当数見られるが、その報告者、文献及び見解の概要は次のとおりである。

(1) 昭和五三年発行の「日本医事新報」における沢井芳男の見解

本症はハブ等に比べると一般には軽症であるが、それだからといつて血清療法は不要であるとは言いきれない。高度の腫脹、皮下出血あるいは複視等の症状を呈するような場合には、即時に血清注射をすべきである。

(2) 昭和五五年発行の「救急医学」における川崎医科大学救急医学教室のグループの報告

セ剤の有効性を主張する人もおり、われわれも血清を使用しなかつた例を二例経験しているが、この場合、局所の腫脹の軽減が長びくとの印象をもつている。そして、本症ではマムシ毒を不活性化することが根本治療であると考え、特別な事情のない限り血清を使用することを原則としている。

(3) 昭和五五年発行の「広島医学」における西山英行ほか五名の報告

本症については血清が唯一の根本的治療法である。本症の三〇パーセント位は症状が軽く、血清投与の必要がないと考えられるが、腫脹、疼痛が強く、嘔気などの中毒症状を有する際は三から五アンプルを用いるべきである。

(4) 昭和五六年発行の「内科」における鹿児島大学第三内科の丸山征郎らの報告

(5) 昭和五六年発行の「臨床皮膚科」における広島鉄道病院皮膚科の出来尾哲らの報告(乙第四〇)

血清は本症の唯一の根本療法で、受傷後できるだけ早期に注射すべきである。セ剤は、本症の治療には必ずしもそれほど広くは用いられていないようであるが、かなり有効であると考えられ、特に血清が使用できない場合などには試みられるべき薬剤であろう。

(6) 昭和五七年発行の「綜合臨床」における沖縄県立那覇病院の真喜屋実佑の報告

(7) 昭和五七年発行の「臨床皮膚科」における舘懌二らの報告

以上の(一)ないし(五)の事実を総合的に勘案すると次のことが指摘できる。

すなわち、セ剤は、昭和五〇年代に入つて、セ剤療法による症例報告も発表され、その薬効も認められて臨床医の間にもある程度普及するに至つたが、その背景には、本症の大部分が軽症ないし中等症であるにもかかわらず、血清療法には相当高率の副作用発生の危険があるため、臨床医らの間にあらゆる場合に血清を使用することへの疑問があつたものと推認される。実際のところ、昭和五〇年代には、血清は有効ではあるけれどもなるべくなら使用すべきではないとの見解が相当有力であり、そのような状況のもとで、セ剤療法を実践した臨床医ら(特に前記青梅市立総合病院外科及び利根中央病院外科のグループ)は、当初は、自分たちの臨床例では重症例に遭遇していないとしながらも、結論的には、セ剤は血清に完全に代替可能なものであるという見解を唱えていた。しかしながら、その後、本症の重症例が稀で多数の重症患者と遭遇しないこともあつてか、前記のとおり右の見解をとつていた者の中の中心的な存在であつた利根中央病院外科のグループは、大部分の症例にはセ剤による治療で十分であるが、来院時重症が予想される例に対しては血清使用に踏み切るべきであるとの見解を発表するなどし、セ剤を推進する臨床医らの数が次第に増加するにつれ、その者らの間では、本症の大部分を占める軽症ないし中等症ではセ剤を、重症予想例に限つて血清を使用すべきであるとの見解をとるものが多数を占めるようになり、本件当時も右の状況であつたものと認められる。

そして、右状況に加えて、前記(四)及び(五)の見解が存することをも併せ考慮すると、本件当時の本症の医療水準は、軽症、中等症はともかく、重症予想例に対しては血清を使用するべきであるというものであつたと認定できる。

なお、昭和六〇年代に入つてから、動物基礎実験の結果等を踏まえて、本症に対するセ剤の有効性を疑問視し、セ剤療法につき否定的に評価する見解も現われるようになつているが、その発表時期からみて、本件当時の医療水準を認定するうえで、これを参考にするのは適当でないというべきである。

五  医師の注意義務違反

1  医師に要求される注意義務

医師は、人の生命及び身体の健康の管理を目的とする医療行為に従事するものであるから、その業務の性格に照らし、専門的な医学知識に基づき、患者の生命及び身体の危険防止のため、実験上必要とされる最善の注意義務を負つているものである。

そして、右注意義務の基準となるべきものは診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であることは、前説示のとおりである。

2  本症重症患者に対する医師の注意義務

(一) まず、血清投与の時間的限界についてであるが、血清投与は、受傷後早い方がより有効であり、かつ、有効であるためには、一定の時間内に投与する必要があるという点については、前述のとおり、臨床医、研究者等もほぼ一致して認めているところである。しかし、前掲三記載の証拠によれば、その具体的な限界時間については、一時間以内でないと著効が得られないとするものから、遅くとも数時間以内とするものまで、幾つかの見解に分かれている状況であつたことが認められる。

従つて、医師としては、血清を投与するについては、時間的限界があることを念頭に置きつつ、遅くとも数時間以内に投与すべき注意義務があるというべきである。

(二) もつとも、前述のとおり、本症は亜急性であつて、死亡は少なくとも二四時間を経過してからというものがほとんどであり、従つて、死亡に至るような重症の場合でもある程度時間が経過してはじめて症状が本格的に悪化することとなる。文献の中にも急性腎不全の症状が受傷後数時間内に出現するような例は見受けられない。

そこで、血清をなるべくなら使用すべきではないとの見解に立つた場合、医師としては、血清が有効であると考えられる受傷後数時間内においては、当該患者が重症となるかどうかを判断するため、注意深く患者の容態を観察し、重症となることが予想された場合には速やかに血清を投与すべき注意義務があるといわなければならない。

(三) そして、どのような場合に重症化を予想すべきであるかについてであるが、前述の如く、重症となるかどうかの主な要因は、注入されたマムシ毒の量によるのであり、その毒量が多いほど腫脹は高度となり、又、悪心、嘔吐等の前記全身症状を現われることとなるのであるから、右の腫脹の程度及び全身症状の出現が重症化予想の判断の指標となると考えられる。文献においても右指標は、「溶血や腫脹が強く、上行性に進行し、躯幹に波及する恐れのあるものや、全身症状が発現したもの」とするものが多い。

3  本件においての注意義務違反

(一) まず、いつの時点で亡尚の重症が予測可能であつたかを検討する。

前記認定の治療経過によれば、本件では受傷が昭和五九年八月二九日午後七時三〇分頃であること、その後腫脹は、同日午後八時二五分頃には右前腕まで、同日午後一〇時三〇分の段階では、右上腕から右肩をやや越え、右前胸部に少しかかるあたりまで及んでいたこと、もつとも右午後一〇時三〇分当時、亡尚は比較的元気な様子であつたこと、その後、翌三〇日午前零時一五分頃、亡尚は気分が悪くなり、顔面蒼白で冷汗をかき、残渣物を嘔吐するなどし、この時点でいわゆる前述の全身症状が出現したと思料されること、そして以後、亡尚の容態は悪化し、苦しがる状態が続いていること等の事実が認められることは前判示のとおりである。

以上の事実によれば、前記二九日午後一〇時三〇分頃の右腫脹の進行程度は相当に速く、かつ、翌三〇日午前零時一五分頃には全身症状の出現もあつたのであるから、遅くとも、右午前零時一五分頃の時点においては亡尚が重症となることは十分予測し得たものということができ、右時点で血清の投与に踏み切るべきであつたものというべきである。

なお、被告は、本件では既にセ剤を投与していたのであるから、血清投与の時間的限界については、何ら薬剤を投与していない場合と同列には論じられない旨主張するけれども、文献等にもこのような指摘はなく、血清とセ剤では作用機序が異なること等を考えれば、たとえ既にセ剤が投与されている場合であつても、医師としては、重症が予測された時点で速やかに血清を投与すべき義務があるというべきである。

(二) もつとも、右時点において、剱持医師は市立病院におらず、既に帰宅していたことは前記認定のとおりであるが、前述のとおり、本症においては、特に受傷後数時間の経過観察が重要であるうえ、本件では、同年八月二九日午後一〇時三〇分の剱持医師の初診時において、前記のとおり腫脹の進行程度が相当に速かつたことに鑑みれば、主治医である剱持医師としては、少なくとも受傷後数時間の間は、病院に居残つて注意深く患者の経過観察をするか、そうでないとすれば、病院に定期的に連絡して容態を聴取し、あるいは、容態の変化をすぐさま自己に報告させる態勢をとる等して、現実に患者の経過観察をすると同程度にその容態を把握しておくべき注意義務があつたものといわなければならない。

(三) ところが前述のとおり、剱持医師は、血清の時間的限界についての十分な認識を欠いていたことから、血清の投与は受傷後の時間に特に関係なく、重症であることが相当顕在化した時点で行えば足りると考えていたため、右午後一〇時三〇分から夜半にかけての間が、亡尚の容態が重症化するかどうかを見極めるについて最も重要な時間帯であつたにもかかわらず、前記注意義務を怠り、亡尚の経過観察を途中で打ち切つて漫然帰宅し、何ら看護婦らとの連絡等も取らず、その結果、翌三〇日午前零時一五分頃の亡尚の容態の悪化を認識しないまま、血清投与の機会を失つたことが認められる。

以上によれば、剱持医師の本件治療行為は、医師としての注意義務に違反する行為であるというべきである。

六  因果関係

1  亡尚の直接の死因

前述のとおり、亡尚は死亡直前において急性腎不全の状態であつたが、右時点においては、それより前に施行された血液透析の結果、幾分なりともその状態は改善されていたことが認められ、この点に徴すれば本件において亡尚の直接の死因が急性腎不全であるとにわかに断定することはできない。

又、その他の死因としては心臓筋肉の変性による心原性ショックが考えられるけれども、前述のとおり、死体解剖が行われなかつたため、右も推測の域を出ない。

結局、本件においては、医学的意味で直接の死因が何であつたかは断じ難いというべきである。

2  本件の因果関係

以上のとおり、直接の死因を断定することはできないけれども、前掲二記載の証拠によれば、亡尚は、本件受傷以前においては、座骨神経痛があつたことと、本件より一〇年ほど前に痛風になつたことのほかに特に病気らしい病気はなかつたことが認められる。

右事実と二、三項で判示した事実を総合すると医学的意味での最終的な直接の死因は断定できないとしても、亡尚が本症に見られる典型的な経路を辿つて重症化し、ひいては死亡に至つたことは明らかに認められるところであり、本症が本件死亡の原因であることは疑いを差し挟む余地のないところである。

そして、血清が受傷後数時間以内に投与されれば本症に有効であることは前示のとおりであるから、本件において、剱持医師が前記三〇日午前零時一五分頃に血清を投与することを決断し、即時これを投与していたならば、亡尚の死亡を回避することができたと認めることができる。

なお、被告は、血清も万能ではなく、血清を用いても死亡した例もある旨主張している。

そして、昭和三〇年発行の「日本外科学会雑誌」において、兵庫県立加古川病院の安藤美一から、受傷後約一時間後に来院した患者(当時三〇歳)について血清二〇CCの注射を受傷後三時間までに完了し、状態軽快のきざしがないため、さらに血清(総量一二〇CC)を注射したものの、一進一退の後、遂に歯ぐきの出血、四肢の皮下出血を惹起し、急性気管支炎を併発、続いて肺浮腫の状態に陥り、受傷後九日目に死亡した例が報告されているが、右症例は、右のような出血症状のあつたことからみるとマムシによる咬傷ではなくヤマカガシによる咬傷ではないかとの疑問がある。

また、昭和五三年発行の「鹿児島大学医学雑誌」において、同大学の尾辻義人らから、受傷後約一時間後に別の某医院で受診した患者について、同医院で血清の注射を受けたものの状態の改善が見られず意識混濁をきたした後第一二病日に同大学内科に緊急入院したけれども、その三時間後に尿毒症により死亡した例が報告されているが、右症例は、報告者の尾辻らが当初から扱つたものではなく、咬傷後どの程度の時間が経過したときに血清が注射されたのか明らかではない。

従つて、右説示したところによれば、右の症例のあることをもつてしても前記認定を覆すことはできないというべきであり、又、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

以上の認定事実によれば、本件においては、剱持医師の前記注意義務違反と亡尚の死亡との間には相当因果関係があるというべきである。

七  被告の責任

以上によれば、同医師を履行補助者として使用している被告は、亡尚が死亡したことにより生じた損害につき、亡尚との間に締結された診療契約上の債務不履行責任を負うべきものであり、原告らに対し右損害を賠償する責任があるといわなければならない。

八  損害

1  亡尚の損害

(一) 逸失利益

亡尚が死亡時六三歳の男性であることは当事者間に争いがなく、当裁判所に顕著な昭和五九年簡易生命表によると満六三歳の平均余命は一六・九二年とされており、本件事故に遇わなければ、少なくとも満七一歳に達するまでの八年間は就労が可能であつたということができる。

《証拠略》によれば、亡尚は、給与所得者である長男原告勝雄夫婦と同居し、妻である原告照子とともに農業に従事して相応の収入を得ていたことが認められるから、当裁判所に顕著な賃金センサス昭和五九年第一巻第一表の産業計全労働者六〇歳ないし六四歳の給与額(年額二八四万九三〇〇円)を下らない額の収入を右八年間得ることができたものと推認するのが相当であり、そして、弁論の全趣旨に照らし、その四割が同人の必要生活費であつたと推認される。これらの事実に基づき新ホフマン式計算法によつて中間利息を控除して死亡時における亡尚の逸失利益の現価額を算出すれば(乗ずる係数六・五八八六)金一一二六万三七三八円となる。

(二) 慰謝料

前掲二記載の証拠によれば、亡尚は、本件受傷以前において特に病気らしい病気はなかつたこと、又、妻とともに長男夫婦と同居し、円満で不足のない生活を送つていたことが認められ、右事実のほか諸般の事情を考慮すれば、亡尚の受けた精神的苦痛に対する慰謝料は、金一四〇〇万円を相当と認める。

(三) 相続による承継

原告照子が亡尚の配偶者であること、原告都、原告勝雄及び原告信義が亡尚の子であることは当事者間に争いがなく、他に相続人のあることを窺わせる証拠はないから、右事実によれば、原告らは、法定相続分に従い、原告照子が二分の一、その余の原告らが各六分の一の割合により、亡尚の被告に対する右損害賠償請求権を相続したものであり、右損害賠償額を計算すると、原告照子が一二六三万一八六九円、その余の原告らが各四二一万〇六二三円となる。

2  弁護士費用

原告らが本訴の提起及び追行を弁護士に委任し、報酬の支払を約したことは弁論の全趣旨により明らかであり、本件事案の難易、審理経過、本訴認容額などの諸般の事情を考慮すると、本件事故と相当因果関係にたつ費用としては、原告照子について金一二〇万円、その余の原告らについて各金四〇万円が相当である。

九  結論

以上によれば、被告は、債務不履行による損害賠償として原告照子に対して金一三八三万一八六九円、原告都、原告勝雄及び原告信義に対して各金四六一万〇六二三円並びに右各金員に対する訴状送達の日の翌日である昭和五九年一二月二九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるというべきである。

よつて、原告らの本訴請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前川豪志 裁判官 能勢顕男 裁判官 村田文也)

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